「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け

MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-

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Episode.04

集団アイデンティティーに個を見出すこと。
『クレッシェンド 音楽の架け橋』が問いかける
「多様性と包括」の意味

SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。

公開中のドイツ映画『クレッシェンド 音楽の架け橋』は、イスラエル生まれのドロール・ザハヴィ監督が、実存のオーケストラに着想を得て制作したフィクションだ。パレスチナとイスラエル……敵対する民族の若い楽団員たちが、音楽を通じて心を通わせていく感動作である。最初はバラバラで不協和音を奏でていたオーケストラが、最後は美しい心に響く音楽を演奏する……。そう聞くと簡単に想像のつく映画のようだが、本作は実にユニークで画期的な演出がある。それらを紹介しよう。

多様性と包括の意味――集団アイデンティティーのなかに個を見出すこと

イスラエル人で世界的指揮者のダニエル・バレンボイムとパレスチナ系アメリカ人の文学者である故エドワード・サイードが1999年に、イスラエルと、対立するアラブ諸国から集まった若者たちを集めて「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」を設立した。興味深いことに、ダニエル・バレンボイムと故エドワード・サイードは敵対する民族出身にもかかわらず、親友関係にあったという。サイード死後もバレンボイムは「共存への架け橋」としてオーケストラを率い、2005年にはパレスチナ自治区で演奏し、大きな感動を呼び、いまもなお活動を続けている。

映画はこのオーケストラをモチーフにした完全なフィクションで、物語をひっぱっていくの指揮者のエドゥアルト・スポルク(ペーター・シモニスチェク)だ。個々の楽団員のストーリーには深入りせず、敵対する”2つの民族主義”を”ひとつの音楽”に仕上げていく、スポルクの手法がこの映画の見どころである。
例えば、スポルクが行うグループセッションはこんなものだ。彼は楽団員たちを集めて21日間寝食をともにさせてグループセラピーのようなものを行う。

① 楽団員をパレスチナ人とイスラエル人に分けて、並ばせる
② お互いに向き合って立ち、憎しみを叫びあう
③ 言葉を発さずに、全員が一人ひとりと目を合わせて個々の存在を確認させる
④ 同じ楽器をもつ者同士にひとつの楽譜をシェアさせる
⑤ お互いの音に耳を傾けてオーケストラを演奏する


誰もが何かの共同体に属する。パレスチナとイスラエルは、長年にわたる絶え間ぬ紛争で、”憎しみ”が共同体アイデンティティーに刻まれている。このように恨みが渦巻く地域では、集団アイデンティティーが個人を凌駕し、”個の存在”よりもパレスチナ人やイスラエル人、といった人間の”属性”がまず目に入るのだ。
けれども、スポルクは「集団アイデンティティーに個を見出す」ことが「多様性と包括」のファーストステップだと教える。絶対に埋まらない”違い”が存在するとき、その違いを”なくそう”とするのではなく、”違いを認める”ことが多様性と包括の意味ではないかーー。イスラエルやパレスチナに限ったことではなく、格差や分断が進む私たちの世界で非常に重要な問いかけだと思う。

コンサートマスターにあえて実力不足の女性を選んだマエストロ

この作品には、クオータ制を想起させる展開もある。スポルクはオーケストラのコンサートマスターにパレスチナ人のバイオリニスト、レイラ(サブリーナ・アマーリ)を抜擢。これにイスラエル側のリーダー各であるバイオリニスト、ロン(ダニエル・ドンスコイ)が反発し、ほかのイスラエル人も彼に追従して練習をボイコットしてしまう。なぜなら、バイオリンの実力はレイラよりもロンが圧倒的に勝っていたからだ。

日本でもクオータ制の議論が巻き起こるたびに、「性別ではなく実力で選べ」と反対意見が起きる。劇中、レイラがイスラエルによる砲撃のなか、必死にバイオリンを練習するシーンを映し出すことにより、「マイノリティの人生のスタート地点はマジョリティとは全然違う」ことを示唆する。
一方、ロンはイスラエル人で裕福な家庭出身の男性だ。小さな頃からバイオリンの練習を強いられて激しい音楽の競争社会でサバイブしなければいけなかったことに、つらさを感じている。「勝たなくてはいけない」というプレッシャーは大きく、彼がしてきた努力は並の人間ができることではない。だが、ロンは自分の”実力”に、”生まれながらの特権”が大きく作用していることにあまりにも無自覚なのだ。
“パレスチナ人”、そして、ジェンダー規範の厳しいアラブ社会における”女性”という差別の交差を背負って生きてきたレイラと向き合うことで、ロンはやっと自分の特権に気がついていく。この物語には「マジョリティの特権」の自覚を促すメッセージも込められているようにも思う。

パレスチナ問題のおさらい

本作はパレスチナ問題を知らなくとも十分に楽しめるが、映画をより深く理解するために、パレスチナ問題をざっと説明しよう。

イスラエル・エルサレムの東にそびえるシオンの丘は古代イスラエル王国を象徴する地。この地を含むパレスチナ一帯に、ユダヤ人の故国を再建しようとする“シオニズム”という運動が1890年代に起こった。 以後、ロシアでのユダヤ人迫害により、オスマン帝国の支配下にあったパレスチナへユダヤ人が移住していき、パレスチナの土地の買い占めが始まった。第一次大戦中、イギリスは戦争資金を調達するためユダヤ人コミュニティに協力を求め、「パレスチナにユダヤ国家建設を支持する」と約束した。同時にイギリスは、当時オスマン帝国からの独立を目指していたアラブ人たちにも独立支持を誓い、あろうことか、フランスともアラブを一緒に共同統治することを決めていたのだ。

その結果、パレスチナとヨルダンはイギリス、レバノンとシリアはフランスの委任統治領になった。イギリスがアラブ人とユダヤ人の両方に独立国家を約束したことから、アラブ人とユダヤ人の衝突が始まったのだ。そうして、第二次世界大戦後の1947年、国連はパレスチナにアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択。 ところが、パレスチナに古くから住む多数のアラブ人よりも、新しく移住してきた少数派ユダヤ人のほうに多くの土地を与えられたことから、アラブ人や周辺のアラブ諸国から反発が起こる。そんな背景で、ユダヤ人入植者たちは1947年にイスラエル建国を宣言。(※) 以来、幾度の戦争を経て政治的合意へつながっても、すぐさま破られてテロや軍事侵攻が再発する。現在、パレスチナ人は自治区に住むが、自治区とイスラエルの間には「隔離壁」が建設されて、「隔離壁」は西のヨルダン側地区と東のガザ地区にパレスチナ自治区を分離している。パレスチナ人の生活圏は分断され、彼らの移動は極端に制限されているのだ。パレスチナの若者たちが厳しい検問をくぐらなければいけない現状も映画では克明に描かれる。

『クレッシェンド 音楽の架け橋』は”多様性と包括”の単純なハッピーエンドではない。音楽を通して敵対する若者たちの心がひとつになる様子と一転して、”憎しみ”がいとも簡単に人々の絆を壊してしまう、人間の悲しい性(さが)も描いているのだ。しかしそれでも、本作で演奏されるドボルザークの「管楽器のためのセレナーデ」からヴィヴァルディの「四季」までさまざまな名曲が、「音楽には異なる人間をつなげる力がある」という希望をもたせてくれる。政治をこえるのは個々の心のあり方だとこの映画は教えてくれるのだ。

【参考】 ※パレスチナ問題の経緯…パレスチナこどものキャンペーン 特定非営利活動法人CCP Japan

2022年1月28日(金)より新宿ピカデリー、 ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか全国公開
配給:松竹 © CCC Filmkunst GmbH

2022.02.07 UP

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Waka Konohana
映画ジャーナリスト、セクシュアリティ・ジャーナリスト、米American College of Sexologists International(ACS)認定セックス・エデュケーター。手がけた取材にライアン・ゴズリング、ヒュー・ジャックマン、エディ・レッドメイン、ギレルモ・デル・トロ監督、アン・リー監督など多数。映画の予告編YouTubeチャンネル「Movie Repository」とセックス・ポジティブな社会を目指したニュースレター「Sex Positive Magazine」を発信中。
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