「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
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SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
公開中の『ドンバスDONBASS』はベルリンに在住するウクライナ人のセルゲイ・ロズニツァ監督が東ウクライナに位置するドンバス地方に住む人々を描いた社会派リアリズム映画だ。 2018年に制作されたこの映画は、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツやファシズムからウクライナを救ったロシアに対する忠誠心をもつ、親ロシアのプーチン派と、欧米側にシンパシーを持つ独立ウクライナ人との間に起こった分裂を2014年から2015年を舞台に描く。ウクライナ侵攻についてよく知らなかった筆者は、ウクライナ侵攻が実は2014年のウクライナ紛争から始まっていることを本作で学んだ。
カメラに映るものすべてに観客が視線を向けざるを得ないマスターショットと、長回しが多用されている本作は、観客を”ドンバスの目撃者”にする。臨場感あるタッチはドキュメンタリーのようでもあるが、演出には芸術性を感じさせ、アーカイブ・ドキュメンタリーや長編劇映画を作ってきた監督の実力が見事に融合されている。とにかく強烈な映画なのだ。 本作は13のエピソードがオムニバス形式で構成され、このうち12のエピソードはロズニツァ監督が取材、ニュースやYouTubeに投稿された実際の動画にもとづいて作った劇映画だ。ドンバスの人々がイデオロギーで分裂され、その分裂に拍車をかけている宗教的ナショナリズムを映し出している。 ただ、ロシア語とウクライナ語が混在しているのと、ドンバスのイデオロギーを理解していないと何が風刺されているのか、誰が親ロシア派で誰が親欧米派なのかは、筆者のような日本人にとっては理解し難い。観ているうちにどちらがどちらを「ファシスト」と呼んでいるのか分からず混乱してくる。だが、登場人物を“どちら側に”位置するのかを明確にしないアプローチは、ロズニツァ監督の意図ではないだろうか。 住民に対するウクライナ軍テロのフェイクニュースを作る親ロシア派、水道も電気もない水漏れがする地下室のシェルターに隠れる住民、突然砲撃を受けるバス、物資の横領、住民から車や金を没収するノヴァロシア政府、捕まったウクライナ兵士が住民から受ける集団リンチ……各エピソードはそれが何であるかというよりも、いかにドンバスの対立が終わらないか、解決できないかということが明らかになる。プロパガンダで分断された世界を我々に冷徹につきつけるのだ。東ウクライナの複雑性を理解できるということだけでも、この映画を観てよかったと思う。(筆者はパンフレットを読むことを勧める)
本作への理解を深めるために、現在のウクライナ侵攻の発端となった2014年のウクライナ紛争を、パンフレットに記載されている、近現代ロシア史研究者の池田嘉郎氏のオフィシャルレビューから簡単に説明しよう。 ウクライナ東部のドンバスは炭鉱地域であり、ソ連時代にロシアから多くの労働者が移住してきた。2014年、ロシアによるクリミア侵攻時、ドンバスにあるドネツク州とルガンスク州はロシア系住民を支持基盤として武装蜂起が起こり(なかにはウクライナ人住民もいる)、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国なる政治体が作られた。この映画は両国成立後のドンバスを舞台としているが、2つの人民共和国はそれぞれの州の全域を支配下においたわけではないので、ウクライナの権力が維持されている地域もある(ウクライナ占領地域)。つまり、ドンバスにはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国からなる「ノヴァロシア(新しいロシア)」連邦と、ウクライナ占領地域の2つに分断されているというわけだ。 2022年2月22日、プーチン大統領はこの2つの人民共和国の独立を承認。その2日後に平和維持を目的してウクライナ侵攻を開始した。(※)ロシアよるウクライナ侵攻は8年前のウクライナ紛争から始まっていたのである。
ウクライナの首都キーウで育ったセルゲイ・ロズニツァ監督は、ロシアで映画を学びドキュメンタリーや長編映画を制作してきたが、現在はベルリンに住んでいる。2020年までに発表した近作10作すべてが三大映画祭に選出され、そのうち4作の劇映画はいずれもカンヌ国際映画祭で発表され受賞もしてきた。 映画人として着々と実力とキャリアを培って来た監督が、映画界以外から注目されたのは、2022年2月24日のロシア軍によるウクライナ侵攻後の声明や行動による。 ヨーロッパ映画アカデミー(EFA)がウクライナ侵攻に対して出した軟調な声明に不満を抱いた彼は、2月28日の公開書簡を通じ、「この8年間の戦争を直視せず、憂慮するだけで、いまだに戦争を戦争と呼べず、ロシアの蛮行を批判することもできないのか」と激しく非難し、EFAから脱会した。 その声明が世界中で拡散されると、EFAは監督の批判を受けて、3月1日付けでロシアを厳しく批判し、EFAが選考・授与するヨーロッパ映画賞2022からロシア映画を除外することを決定。 しかし、ロズニツァ監督はこのEFAの声明に対し、公然と戦争を批判しているロシア人監督が多く、彼らも戦争の被害者であることから、ロシア人であることを理由に彼らを排除することに異論を唱えた。監督はロシアを強く批判する一方、自分はコスモポリタン(世界市民)として包括的なロシア映画の排除に反対したのだ。 ところが、これがウクライナ映画界を怒らせた。3月19日、ウクライナ映画アカデミーは突如、セルゲイ・ロズニツァ監督を同アカデミーから除名することを決定。「戦時中において、ウクライナ人監督として世界市民を名乗るロズニツァ監督は断じて許されず、国家の独立を全力で守っているいま、すべてのウクライナ人の言論において最も重要なコンセプトは、国民的アイデンティティであるべきだ」との理由だった。 こういったウクライナのナショナリズムは2020年に起きた出来事にも表れている。同年、日本の配給会社サニーフィルムがセルゲイ・ロズニツァ監督を日本に招聘するために在日ウクライナ大使館に支援を求めた際に、監督名がロシア語表記なので、「セルヒー・ロズヌィーツャ」というウクライナ語表記に変えるよう強く促されたという。そういった背景があり、今年の3月3日にサニーフィルムが監督のプロデューサーに名前の表記を確認したところ、「私たちはセルゲイの名前を変える必要はありません。彼の母国語はロシア語であり、いま起きている悲劇は言語に関するものでありません。ソビエトと反ソビエト、植民地主義と反植民地主義、野蛮と文明、悪と善などについてです。セルゲイはこれまでと同じように母国語を話し、自分の名前を使い続けます。彼がその生涯でソビエト政権と戦い続けたように」という返信があったそうだ。(※)
今年2022年9月24日に公開予定の新作『バビ・ヤール:コンテクスト』は1941年に起きたキーウ郊外のバビ・ヤール渓谷で3万人以上のユダヤ人が虐殺されたホロコーストと、その後10年間の戦後処理を描いたものだ。『ドンバス』はウクライナ側に寄った視点で描かれているが、ロズニツァ監督は『バビ・ヤール:コンテクスト』ではウクライナにおける反ユダヤ主義を浮かび上がらせて、「キーウ住民はホロコーストに対して何もしなかった」というテロップを入れているという。ウクライナ人である彼はウクライナの黒歴史に正面から向き合うのを恐れなかった。彼はウクライナの監督だが、イデオロギーにとらわれない世界市民の表現者なのである。『ドンバス』はグローバリゼーションが「ナショナリズム対インターナショナリズム」を加速する混迷の表象なのだ。そんな現代においてヒューマニティとは何なのだろう。
最後にセルゲイ・ロズニツァ監督が3月19日に発表した声明の一部で本記事を締めくくりたい。
「私はこれまでの人生で、いかなる共同体、グループ、協会、または『圏』を代表したことはありません。私の言動のすべては、これまでも、これからも、私個人のための発言であり、行動です。私はこれまでも、これからも、ウクライナの映画監督です。この悲劇的な時期に、皆が正気でいられることを心から願っています」
【参考】
※ 『ドンバスDONBASS』公式パンフレット
2022.5.31 UP