「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
この原稿を書いている今日、東京は積雪するほどの大雪だ。なんと4年ぶりだという。こんな日に、”雪”を描いた映画について書くことはなんだか不思議だ。今回紹介するのは、1月7日に公開された韓国のレズビアン映画『ユンヒヘ』。韓国に住む2人の母子が冬の小樽へ旅するロードムービーである本作は、娘が母の秘密をとくミステリーでもあり、母が別れた同性愛の恋人と再会するラブストーリーでもある。 韓国のレズビアン映画は興行的に成功しないことが多かったが、本作は2019年の釜山国際映画祭ではフランスのレズビアン映画『燃ゆる女の肖像』などをおさえクィアカメリア賞を受賞し、2020年に韓国のアカデミー賞とも呼ばれる青龍映画賞で最優秀監督賞と脚本賞をW受賞した。さらに、本国では「満月団」という熱狂的ファンまで生み出すほどの成功をおさめたという。(韓国で公開される前、監督は本作に『満月』というタイトルをつけていたが、韓国での劇場公開時に『ユンヒへ』に変えた) なぜ、この映画が韓国でこれほど評価されたのかーー。その理由を紐解きたい。
韓国の地方都市で暮らすシングルマザーのユンヒ(キム・ヒエ)のもとに、長い間、連絡を絶っていた初恋の女性から一通の手紙が届く。母の手紙を盗み見てしまったセボム(キム・ソヘ)は自分の知らない母の姿をそこに見つけ、手紙の差出人である日本人女性ジュン(中村優子)に会わせようと決心をする。セボムに強引に誘われるかたちで、ジュンが暮らす北海道・小樽へ旅立つユンヒ。それは20年前の自分と向き合う、心の旅でもあったーー。(プレス資料引用)
これまで韓国のレズビアン映画は興行的な成功をおさめることが難しかった。パク・チャヌク監督の『お嬢さん』(2016)は大ヒットしたが、同性愛を非現実的に描いたと批判されたし、これは世界的な現象だが、韓国映画に登場するレズビアンは若くて美しくエロティックな表象として描かれてきた。実際にレズビアン映画にはメイルゲイズ(男の眼差し)の官能シーンが多い。
ところが、地味な中年女性2人を描いたエロティックなシーンもない『ユンヒへ』が映画批評家から一般人にまで絶賛されたのだ。
イム・デヒョン監督はなぜ中年女性を主人公にしたのかーー。 プレス資料のオフィシャルインタビューでデヒョン監督はこう答えている。 「私は以前から中年、あるいは老年の時期を送っている人たちに関心をもっていました。長い歳月、人生を生きてきただけでも十分、尊重される資格が誰にでもあると思います」 日本や韓国など女性に対するエイジズムとルッキズムが強い社会では女性の価値が”若さ”に置かれている。レズビアンには様々な年齢層や外見の女性がいるはずなのに、映画では”若く美しい女性”として表象されるのは、ルッキズムやエイジズムが根本にあり、そこに監督は問題提起しているのではないかーー。 ここ数年、韓国政府はエイジズムやルッキズムをなくそうと履歴書から写真や年齢を排除するなどの方向性を打ち出している。一方で、韓国は美容大国として美を輸出し、美容整形を求める観光客のインバウンドを充実させる国策をとっている。このような社会からはそうそう簡単にルッキズムやエイジズムはなくならないし、これは日本も同じだ。(もっとも日本には履歴書から写真や年齢を排除しようという大きな運動さえないが……)ジェンダー・ギャップ指数2021」において韓国は102位と、男女格差が大きな社会だ(日本は120位)。とはいえ、国会議員、教育、政治家・経営管理職の分野では日本よりも男女格差が縮んているし、日本では盛り上がらなかった#MeTooは韓国ではものすごい勢いで広がった。
しかし、2020年に入り韓国では、#MeTooの告発第一号と言われる女性検事が下級裁判の勝訴を最高裁判所に覆されてセクハラ加害者は無罪となった。同年3月には、世界を震撼させた性犯罪、「n番部屋事件」が明るみになった。インセルやミソジニストの男性による女性に対する暴力事件は近年、韓国では後を絶たない。現在の韓国では、フェミニストに対するバックラッシュ(反動)が起きているそうだ。2020年から2021年にかけて筆者が取材した韓国の女性・男性映画監督によると、フェミニズムが曲解されて「男vs.女」の対立構造にすり替わっているという。 男と女を分断しフェミニストが攻撃される韓国社会で、本作は階級、人種、性的指向、ジェンダーが相互に作用しあい生み出される「差別の交差性」を描いた。だからこそ、女性や同性愛者以外にも、様々な生きづらさを抱く多くの人々の心に響いたのだと筆者は思う。 しかも、複合的な差別に対するユンヒとジュンの”積もりに積もった”怒りを美しい「雪」に表現したから、説教くさい物語ではなく美しいドラマに仕上がったのだ。ユンヒは高校生のとき、ジュンとの恋愛を病気だとされ入院させられた。その上、”女の子だから”と大学進学も断念させられたのだ。それなのに、家父長制的価値観を色濃く引きずるユンヒの兄は、男性である特権に無自覚なまま「経歴もない」と彼女を見下す。彼女を下に見るのは男性だけではない。彼女の女性上司である栄養士は娘の卒業旅行のために休みを願い出たユンヒをいとも簡単にクビにしようとする。低学歴者やシングルマザーに対する差別がこのシーンに表れている。
反面、小樽に住むユンヒの初恋の女性ジュンは獣医師として働き、女性差別や職業差別から離れた場所にいるように見える。しかし、彼女は自分が日韓ハーフであることに葛藤を抱えている。ネットを開けば在日コリアンへのヘイトがあふれている日本社会で、韓国人というアイデンティティに尊厳をもつのは難しいだろう。そんな影を背負った彼女を慕う女性が現れても、ジュンは”同性愛を隠すべき”だと示唆して彼女を拒絶する。同性婚が制度化されない日本と韓国における同性愛者の苦悩がのぞく。 「私の一番の目標はマイノリティについて語ることでした。私は、これらの登場人物を決して客観視するのではなく、韓国と日本の同質的な男性中心社会が作る雰囲気を観客に伝えたかったのです」とデヒョン監督は2019年の釜山国際映画祭のQ&Aでこんな話をしている。(※) 伝統的な家父長制、超学歴社会、格差社会、同質社会、エイジズムやルッキズム……韓国ではマジョリティの男性でさえ、しんどい社会なのだ。複合的な差別を受ける社会的・性的マイノリティの苦しみを通して社会の閉塞感を描く『ユンヒヘ』はきっと日本の観客も共感すると思う。ここまで読むと、非常に暗い映画のように思ってしまうかもしれないが、『ユンヒへ』にはハートウォーミングな場面がたくさんある。ユンヒを明るく支える娘セボムとボーイフレンドのカップルはユーモラスで見ていて幸せな気分になるし、ユンヒが自分を取り戻して上司に反抗する場面は痛快だ。(暗く沈んだ表情を見せていたユンヒが自分を受容するにつれ、どんどん表情が明るくなり、魅力的に変化していくのはユンヒを演じるキム・ヒエの類まれなる演技力の賜物である)
2022.01.14 UP