「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
MOVIE- 知ることにより変わる・変えられる-
「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け
SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。
公開中の映画『テーラー ⼈⽣の仕⽴て屋』はギリシャの経済危機を背景に、「男らしさ」から解放されて⾃分⾃⾝を⾒ 出す中年男性の成⻑物語。ギリシャ最⼤のテッサロニキ国際映画祭でギリシャ国営放送協会賞、⻘年審査員賞、国際映 画批評家連盟賞の三冠に輝き、世界中の映画祭から喝采を浴びた話題作です。
「太陽の国」と呼ばれるギリシャの真っ⻘な空や海とともに、歴史ある古い⽯畳の街並みと貧しい地域、コミカルなト ーンと禁じられた恋、紳⼠服とウェディングドレス……相反する要素を組み合わせることで、ギリシャ危機や家⽗⻑制を さりげなく⾵刺するハートウォーミングな本作。拡⼤する経済格差やジェンダー規範に⽣きづらさを感じる私たちが観 ても爽やかな元気がもらえる作品です。本作に散りばめられたメタファーから物語のテーマを読み解いていきましょ う。
⽗親と⼀緒に36年間、⾼級スーツの仕⽴て屋を切り盛りしてきた50歳のニコス(ディミトリス・イメロス)は2009年の ギリシャ危機の余波で、突然銀⾏から店差し押さえの通知を受け取る。ちょうど急病で⼊院してしまった⽗親の代わり に店の復興を取り戻すため、ミシンをのせた⼿作りの屋台を率い、移動式の⾼級スーツの仕⽴て屋を始める。だが、⾼ 級スーツの屋台は上⼿く⾏かず、ひょんなことをきっかけにウェディングドレスを作り始める……というのがあらすじ。 Mr.ビーンのローワン・アトキンソン、シルベスター・スタローンやジャン・アレジをかけ合わせたような容貌がどこか ユーモラスで、サイレント映画時代の俳優を想起させる主演のディミトリス・イメロスが絶妙。
ここには監督・脚本を務めたソニア・リザ・ケンターマンの意図があるよう。映画の前半の殆どにはニコスの「声」が ⼊らず、聞こえるのはミシンの⾳。⾃分の屋根裏部屋と店に閉じこもるニコスの⽣活は全てがルーチン化され、そこには ある種の“男の美学”はありますが、情熱や驚きがない⽇々。しかも、唯⼀の友達は向いの家に住む9歳の⼥の⼦ヴィクト リアだけ。ところが、映画の後半には様々な⼈の「声」が⼊ってきます。
この「声」は家⽗⻑制による“抑圧”のメタファーのようが気がします。ニコスと⽗親は“男の美学”を共有してはいます が、ニコスは⽗親に⽀配されており、⽗親以外の「声」を聞くことも、⾃分の「声」をあげる術も知らない……。ニコ スが外の世界に触れて⾃⼰を発⾒し、ヴィクトリアの⺟親に恋⼼を抱くようになっていくにつれ、サイレント映画的ス タイルがトーキー映画的スタイルへと変化していく、という実に⾒事な作品構造なのです。
⽗親のいない間に、「紳⼠服」から「ウェディングドレス」の仕⽴て屋へと変貌していくニコス。この2つの対照的な ファッションも彼の⾃⼰発⾒への道を象徴しているようにも⾒えます。 男性の体にぴったりと採⼨した「パターン(型紙)」にそって作り上げなればいけない紳⼠服の世界。ニコスと⽗親が 仕⽴てる紳⼠服はテーブルに布を敷き、そこに型紙を置いて「平⾯裁断」していきますが、1mmの狂いがあったらおし まい。
こういった“厳格”な紳⼠服の仕⽴てに“形式美”を感じていたニコスは、アテネから離れた貧しい地域で「ウェディングド レス」を初めて作ることにより、⾃分の創造⼒が広がっていく“⾃由”を感じてしまいます。 ボディ(⼈体模型)に布を直接着せ付けて、理想どおりの型紙を作っていく「⽴体裁断(ドレーピング)」でウェディ ングドレスを制作するニコス。艷やかなシルクやサテン、柔らかなシフォンやチュール、そして、レースやリボンをボデ ィに直接あててドレスを“⾃分の感性”にそって仕上げていきます。 ニコスのパターンメイキングが平⾯裁断から⽴体裁断へと変化していく様⼦も、家⽗⻑制的な「男らしさ」から脱却 し、「⾃分らしさ」を追求するニコスの象徴ではないでしょうか。けれども、退院した⽗親に⼥性服を作ることを批判 されてしまうニコス。そうして、彼は初めて⽗親に反抗するのです。
2009年に起きたギリシャ危機以前、ギリシャでは50代から潤沢な年⾦がもらえていたそう。このような年⾦偏重の社会 保障制度が経済危機の⼀因にもなったのですが、この危機で⼀番ダメージを受けたのは50代の⼈々でした。だからこ そ、本作の主⼈公は50歳の働く男性という設定なのです。こういった男性の抑圧を⼥性監督がファッションを通して表 現したこともとてもユニークではないでしょうか。 本作は、寂れたアテネの⾼級店通りや貧困地域、職を失いそうになるニコスを通してギリシャを襲った経済危機を映し 出すだけでなく、⼥性と同じく、男性もまた家⽗⻑制的価値観に抑圧されていることを教えてくれます。そして、いくつ になっても⾃分を再構築するのは可能なことも……。 ギリシャの重厚な街並みや異国情緒のある市場、エーゲ海や空の息を飲む美しさに⼼が奪われる本作。コロナ禍で海外 へ⾏けない今、ギリシャの眩さをぜひ劇場で堪能してはいかがでしょうか。
2021.11.18 UP