「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な映画を毎⽉お届け

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Episode.07

“本当の自分”や“運命の恋人”はいるのかーー。ノルウェー映画『わたしは最悪。』に見る「自分探しの行方」

SNS、未曾有の⻑寿社会、家⽗⻑制や終⾝雇⽤制度の崩壊、多様なジェンダー・アイデンティティやセクシュアリティの可視化、顕著になったリプロダクティブ・ヘルス/ライツの貧困、そして、新型コロナウィルス……現代は前例のないことだらけ、ロールモデル不在の時代です。だからこそ、私達は⾃分のいる社会や世界をもっとよく知ることで、新しい⽣き⽅をデザインしていけるのではないでしょうか。「知ることにより変わる・変えられる」を理念に国内外の良質な 映画を毎⽉お届けしていきたいと思います。

20代半ばから30代初めにかけて女性の数年間を小説のような章仕立てにしたラブストーリー『わたしは最悪。』。(7月1日公開)コメディの要素があるが、ハリウッド映画によくあるラブコメではなく、主人公の人間形成の過程を描いた“ビルドゥングスロマン(教養小説)”のような映画だ。日本でも『母の残像』(2015)や『テルマ』(2017)で脚光を浴びたヨアキム・トリアーが監督と共同脚本を手掛けた作品である。主演のレナーテ・レインスヴェが2021年度のカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したのをスタートに、数々の栄えある賞を席巻して2022年度のアカデミー賞でも脚本賞と国際長編映画賞にノミネートされた。 映画のタイトルはノルウェー語で「Verdens Verste Menneske」といい、「自分が失敗した」と感じたときに使われる言葉だという。つまり、若者の華々しい成功を描いたラブストーリーではない。本作に見る、私たちの誰もが通る「自分探し」について考えたいと思う。

『わたしは最悪。』ストーリー

舞台はノルウェーのオスロ。医学部に通うユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)は成績優秀だけれど、医学が「これだ!」と思えず心理学に専攻を変える。しかし心理学も「何かが違う」と感じ、写真を始める。結局、30歳になっても”天職”が見つからず、書店員として働くユリヤは、グラフィックノベル作家として成功した年上のアクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と恋に落ちて同棲する。だが、結婚して子どもをもちたいアクセルとの価値観のズレ、そして彼と自分のキャリアの格差に戸惑いを感じていた矢先に、若くて魅力的なアイヴィン(ヘルベルト・ノルドルム)に出会う。新たな恋の勢いも相まって、ユリヤは今度こそ自分の人生をつかもうとするーー。

「自分探し」の選択があるからこそ、混乱する……

本作で描かれるユリヤの”自分探し”を筆者は羨ましいと感じた。落ちこぼれたわけでもないのに、”ピンと来なかった”からといって医学部を辞めて心理学部に編入したり、フォトグラファーになったりするユリヤ。しかも、そんな彼女の選択に母親は何も言わない。親子の間でも”個”を大切する文化に加えて、ノルウェーは大学院まで学費が無料。社会保障制度が豊かで個人の自律性が尊重された社会では、「~歳までに~しなければいけない」という規範が薄く、”自分探し”に時間をたっぷりとかけられるように見える。 ところが、ユリヤはそうそう簡単に”天職”を見つけられない。「自分が何者なのか」「自分の人生をどうしたいのか」といった考えに取り憑かれた彼女は、「私たちには何かしらの天命があり、本当の自分はどこかにいるはずだ」というロマンチックな未来像と現実の狭間で迷走してしまう。そんな彼女に共感する人はたくさんいると思うが、この物語が明らかにするのは、30歳やそこらで自分の人生が解き明かされることはないし、未来像が見えるわけでもないということ。社会規範が強制されず、多様な選択肢がある社会では人生にひとつの明確な道筋が見えず、混乱してしまう。でもそんな”道草”が実は人生の肥やしになる。

運命の恋人は存在するのかーー?

そして、本作に映し出される、ユリヤと2人の男性が繰り広げる恋愛模様も実に興味深い。まず、恋愛における性別役割分業が見られない。男性が家事をするのは当たり前だし、ユリヤとボーイフレンドはいつも対等だ。ネタバレになるので詳細は割愛するが、ユリヤの体は彼女のものであり、彼女の性と生殖に関する健康と権利は彼女だけに決定権が委ねられている。このようにジェンダー平等がかなり実現されている社会では、パートナーとの自他境界線がはっきりと線引きされて、恋愛は自由意志のもとに決定されている。ユリヤはパートナーに決して依存しないからこそ、恋愛関係を継続していくのが難しいのだ。

そもそも、恋愛とは、新しい自分を知ることではないだろうか。お互いが影響し合い変化していくのが恋愛の醍醐味だろう。けれども、パートナーの変化を受け入れられなくなったときに愛は終わる。どんなに”運命の人”に出会ったと思っても、価値観のズレが重なっていくと、何かのきっかけで簡単に関係は壊れてしまう。お互いの人生の優先順位が絶妙にマッチしないと愛は育てられないーー。それが、愛の現実なのだ。 つまるところ、仕事にも恋愛にも、”本物”や”運命”なんてものは存在しないのかもしれない。少なくとも30歳やそこらで迷うのは当たり前のことなのだ。人生のなかでしょっちゅう「わたしは最悪」と感じても、そのときに自分にとって最善の選択を続けるしかないのではないだろうかーー。

7月1日(金)より
Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、 新宿シネマカリテ他全国順次ロードショー

2022.7.2 UP

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Waka Konohana
映画ジャーナリスト、セクシュアリティ・ジャーナリスト、⽶ACS 認定セックス・エデュケーター。⼿がけた取材にライアン・ゴズリング、ヒュー・ ジャックマン、ギレルモ・デル・トロ監督、アン・リー監督など多数。
主な連載にFRaU Web#みんなセックスレス #夫婦同姓の苦しみ など。欧⽶の映画製作にも携わる。
セックス・ポジティブな社会を⽬指す「此花わかのセックスと映画の話」ニュースレターを配信中。
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